女性向け風俗 漫画

SMについて②

どうも淫猥亭みさきですಠ_ಠ

前回に引き続き今回もSMについて自分が勝手に考えている事をつらつらと綴っていこうと思います!

もしご覧になられていない方は宜しければSMについて①の方を先にご覧下さい。

[欲求の形成]

そもそも己のS的欲求やM的欲求にはどのようにして気づいてゆけば良いのか。それを自覚するには3つのルートがあると私さ思っておりますが、どのルートも(好奇心)と(信頼関係)が鍵となってきます。

1つ目は経験による自覚です。
様々な性的経験を好奇心を持って積み重ねる事で、
「こんなプレイをしてみたら興奮した」
逆に
「こんなプレイをされてみたら興奮した」
という経験から己の本能を知ってゆきます。
これはそもそもの前提にこういうことをしてみようという好奇心が無ければなりません。
そしてそれを伝えられる、または伝えてもらえる相手がいなければ、自覚はできてもそれを深めてゆく事は難しいでしょう。
なぜなら一方通行な欲求では相手に拒まれてしまう恐れがあります。
深める事が出来なければそれは曖昧な自覚で終わってしまい、自分の本来の欲求についてもあやふやなままになってしまいます。

2つ目は本能による自覚です。
実際に経験をしていないが、何故だかこんなプレイに昔から惹かれている。という、その個人が元々持つ本能を知らず知らずのうちに自覚しているパターンです。
「本能の声が聞こえる人」という言い方もできるでしょう。
これは幼少期の出来事が由来しているケースが多いように思います。
これはそもそも好奇心が強くそれに従順な人でなければなりません。
自覚するまでのルートが最短でわかりやすいSMプレイヤーとも言えますが、逆に最も危ういプレイヤーとも言えます。
なぜならほとんど信頼関係を必要とせず深くまで自覚できてしまっているので、あまり相手に拘らずにSMを行う事ができてしまいます。
つまりプレイを強行する事でも十分な興奮と快楽を得られてしまうのです。

3つ目は愛情による自覚です。
「相手を喜ばせたい」という気持ちはSとしてもMとしても才能を開花させる事ができます。
「相手を喜ばせたい」という思いと「愛したい」という思いが重なればSが芽生え、「相手を喜ばせたい」という思いと「愛されたい」という気持ちが重なればMが芽生えます。
自ら空間を作り出す事で相手を喜ばせることが出来ればSとなり、相手の好きなように空間を作らせそれを受け入れる事で相手を喜ばせる事が出来ればMとなるのです。
この場合は表現方法こそ違えど、SとMはお互いに相手を喜ばせようとその営みに励んでいるのです。
ここでも大切なものは好奇心です。
こんな事はどうだろうか?これは喜んでもらえるだろうか?と様々なプレイに興味を持ちそれを与え、与えられるのです。
これはプレイに興味を持つというよりは相手の反応に興味を持つと言った方が正確でしょう。
そしてその二人の間にはもちろん信頼関係が築けていなければなりません。
言葉と身体を使ってしっかりと自分の本能や欲求を表現する為には、やはり信頼関係は必要不可欠なのです。
あなたのどんな姿も受け入れるという姿勢がS側にとってもM側にとっても重要なのです。

この3つのルートのどれを通ろうと、欲求の凹凸は必ず誰かと合致します。この凹凸さえ合致して仕舞えばそれはSMと呼べるのです。大切なのは自分が凹なのか凸なのかを自覚することであり、同時に決して先入観で自分の形を決めない事だと思います。凹は凸であり凸は凹であるということもあるのです。つまり新たな欲求に気づいたり、相手の欲求に合わせたりした結果、SとMが逆転するような事があっても、それはそれで素敵な事なのです。
個人的にはSであろうがMであろうが、女性側の欲求を中心に欲求を形成するのが最も平和的だと思います。

[SMにおける誤解]

SMにおいて誤認してはいけないのは
「道具や技術があればSMになるわけではない」
ということです。

もちろんそれらがあるに越したことはないのですが、結局はそれらもただのコミニュケーションツールのひとつでしかありません。

それらがある事による利点は言葉以外で相手の身体と対話ができるという点ですが、お互いの欲求について追求していけばそこには勝手に辿り着く筈です。

だからSMに興味を持った時には、SMを理解しようとするのではなく、
目の前の相手の欲求や己の中の欲求を理解しようとすることが最も大切であり、このSMの世界を知る一番の近道だと思います。

いくら道具の扱いに慣れその技術を極めたところで、全くもってSMを理解したことにはならないと思うのです。
個人的には、仮に道具など1つも無くとも
その体一つでもSMをしっかりと体現出来るサディストが最もかっこいいサディストだと思っております。

そもそも自分もSMという概念についてはちゃんと理解していないのだと思います。
だからこんなにも言語化に苦戦しているのでしょう。
私がやってきたことはただ目の前にある欲求を信じて、なるべくそれと噛み合うように自分の欲求を沿わせ、それを自分の中でSMと信じてきただけでなので、これが一般的なSMを指すのかどうかと言われたら確信はありません。

しかしやはりSMというのは、常に一個人と一個人の間で生まれるものだと思うので
それはそれぞれのプレイヤーによって全く別の姿を宿していても良いと思いますし、むしろそうであって然るべきだと思っております。
ただその中にあるであろう共通項について自分は今お話させて頂いているのです。

たまにモテたいが為にSMを始める方もおりまして、そういった方々はとりあえず道具や知識に頼りがちな傾向があります。
私個人としては精神や欲求についてではなく、
道具や技術の話を先行して話してくるようなサディストは疑うようにしています。
そもそもサディストだと吹聴して回ってしまうよりも、本当にサドなのかどうか疑われているくらいの方がプレイの幅は広がるのではないかと思っております。誰が本物で誰が偽物なのかということはこの世界においては何とも言い切れない部分なのかもしれませんが、そういった根拠でSMを始める方もいらっしゃるという事を知っておくと保身には繋がると思いますのでご承知おきください。

1つ前 1つ後

この記事を書いた人

Misaki
Misaki

ヒメゴト東京在籍のセラピスト。
SMバーやハプバーでの勤務経験やSMショーに出演した経験を活かして色々とやっている。
人間の欲望と教育が好き。
髪の毛が長いことがロックンロールだと思っている。