女風 SM

綺麗な欲望

どうも哀飢え男科菊家故みさきですಠ_ಠ

自分は以前SMバーで働いていまして、そこからこの業界に流れてきたキャストなのですが、実は少しの間ハプバーでも働いていた経験があります。SMバーでの仕事が楽しかったので、ハプバーでも様々な知見を広められるのではないかと期待を込めて働き出したのですが、残念ながら私としてはそこで何も得られぬまま、ハプバーを辞める運びとなってしまいました。その場所は自分の中で何かが違っていたのです。自分が求めてるのはそうじゃないと、そこにいる人々を眺めて思ってしまいました。しかし具体的に何がどう違ったのか、詳細に説明する事が出来ない自分がおりましたので、せめて納得のいく説明ができるよう、私は自分の性的趣向についてもっと理解を深めようと思いました。

というわけで今回は勝手ながら私個人の性癖についてお話させて頂こうと思います。私の性癖なぞに興味のない方も居られるとは思いますが、男性の内に潜む性的趣向のひとつのサンプルとしてご覧頂けたら幸いでございます。

お前ほんとにサディストなん?

自分は長い間、己自身をSと自覚して生きてきました。それは単純に責められるよりも責めている方が居心地が良く、活き活きとしていられたからです。しかし本当に加虐が楽しいのかと言われると、そうだとは言い切れないように思います。私はハードなSMモノのAVを見てもそれほど興奮しません。むしろハプバーで感じたものと似た「なんか違う感」をその映像から感じ取ってしまいます。もしかしたら自分はSMというものに囚われているだけで、本当にSMが好きという訳ではないのではないか?私は自分の性癖を意図的にSMに落とし込んでしまっているのではないか?私は、自身に対してそのような疑いを持つようになりました。

そもそも自分がSだMだを意識し出したきっかけは高校一年生の時、当時付き合っていた女性に言われた「私Mなの」という一言でした。ならばこちらはSにならねばと独学でSMを勉強し、それを彼女と楽しんでいる内に徐々にそれが板に付いてゆき、楽しみ方がわかってきたのです。その後関係を持ったお相手からもSを求められる事が多かったので、そのまま今現在まで私はサディズムに浸かっています。つまり私は自発的にサドとしてプレイを始めた訳ではなく、ただマゾに応じる形でサドになりました。常に「マゾに応じている」という状態の私は果たして本当にサディストと呼べるのでしょうか?そもそもなぜ私は女性に応じる事から始めてしまうのかと考えた時に、それは性とは無関係と思われた私自身の性格や趣向に、逐一原因がある事に気が付きました。

狼の食事と品性

以前も少しこちらに書かせて頂いたのですが、私は基本的に男という生き物が嫌いです。私にとって男性という動物は、馬鹿で下品で醜くて脆弱で、心底不愉快な動物である上に、存在そのものが卑怯な生き物だと思っております。そして私のこの嫌悪感や憎悪は、私自身の肉体や精神にも真っ向から向けられております。そんな私が女性と触れ合う時には、どうしても言い知れぬ罪悪感を感じます。私のような穢れた生き物があなたに触れても良いものか、この牙を剥き出しにしてしまえば、あなたの内に在る綺麗な何かを汚してしまうのではないか。しかしこの本能はその肉体を欲し、この飢えた欲求は愚かしくも、その素肌も匂いも表情も声も、全てを喰らい尽くそうと奮い立ち、突き立てた牙の制御にたじろぐ。この様に自身の内に潜む最も醜い私への変貌と戦う時、私はいつも不快感と快感の狭間に揺らいでいました。そんな葛藤から生まれた折衷案として、私はSMを頼っているのだと思います。私はせめて女性の欲求に応じ、その欲求に自らを沿わせる事でこの本能や野性を正当化しているのです。物理的な美醜にあまり拘りはありませんが、私の精神的な部分はある意味で潔癖なのでしょう。粗雑に食い漁るのではなく、加虐や支配を丁寧に駆使し、味わいながら口へ運ぶ事で、食事という野蛮な行為を己に認めさせているのです。レストランにおける不必要なまでに豪勢な店内の装飾や、無駄に洒落込んだドレスコードなどは、動物を殺しそれを煮て焼いて頬張って喜ぶ残酷な我々に、少しでも品性を持たせるための足掻きなのだと思っております。

入念な皮剥き

私の抱く男性嫌悪は、上記の様にして私のSM観に影響を与えているのではないかと思っております。そして別の私の趣向も私の性癖に少なからず影響を与えていると思います。

嘘というのは誰もが嫌うものだと思いますが、私は取り分け「着飾るための嘘」というものに対して普段から強く違和感を感じております。人間という生き物は日常の中で常に嘘をついて生きなければなりません。家族の前での自分、友人の前での自分、異性の前での自分、職場での自分、公共の場での自分などなど、人は誰もがそれらを巧妙に操作して、何かを取り繕いながら生きているのだと思います。それはか弱き人間たちの精一杯の処世術、または防衛策なのでしょうから、その行為自体を否定するつもりはありません。しかし私が作られた姿を見せられる事にうんざりしているのも事実です。私はそんなものを見る事に興味がない。私が見たいのは本当のあなた。あなたが一体何者なのかを、嘘偽りなく正確に知りたい。これは単に私の好奇心であり知的欲求です。そしてそれらを満たす為にもSMというものは非常に便利です。

私が足を開けと命じるとき、私はあなたの陰部を通してその屈辱や恥じらいを見ています。そしてそれらに引き起こされた鼓動の高鳴りや息遣いから、あなたの無防備な欲求を見ています。何も装わないその姿はまごう事なきあなたの本能で、つまりは嘘偽りのない本当のあなただと思うのです。私はそれが見たくて仕方がないのです。嘘に塗れたこの世の中で、欲に溺れたその正直な姿は、滑稽で下品であればあるほど、私には美しく見えます。だから私はそれをちゃんと引き出せるように、様々な性を理解しなければなりません。よく「サディストのSはサービスのS」などと言われますが、私はそうとは限らないと思います。少なくとも私はあまりサービスをしているつもりはなく、見たいものを見るために、感じたいものを感じるためにSMを利用しています。縛るのも叩くのも泣かせるのも、全てはその奥にある本当の姿が見たいからです。それが綺麗に思えるからというのもありますが、その姿が理性や品性を欠いた姿であればあるほど私は自分の醜さを誤魔化せるようで、安心しているのかもしれません。

結局私はSMを、申し訳を立てる為の口実として、そして己の欲求を満たすツールとして利用しているのだと思います。私は本当にサディストなのか、真にSMに傾倒しているのか、というような事ははっきりとはわかりませんが、少なくとも私がハプバーやAVで感じた違和感については説明ができると思います。私がハプバーで見たのはただただ食い散らかすような性行為でした。私が見たものが全てではないとは思いますが、少なくとも綺麗だと思えるような慈愛は一度も見かけませんでした。だから長くは勤めていられなかったのでしょう。見るに耐えない事も多々ありました。そしてSMモノのAVについては、単純に偽物だったからでしょう。内容がSMであれどそこに本能が見えなければやはり私は満たされないのだと思います。男である私には難しいですが、皆様には己の醜さや卑しさを曝け出し、それを愛でられるような風俗利用して頂けたらと思います。私個人としましても、いやむしろ私個人にとって、それこそこの上なく喜ばしい事でございます。

1つ前 1つ後

この記事を書いた人

Misaki
Misaki

ヒメゴト東京在籍のセラピスト。
SMバーやハプバーでの勤務経験やSMショーに出演した経験を活かして色々とやっている。
人間の欲望と教育が好き。
髪の毛が長いことがロックンロールだと思っている。