こんにちは、湯藤レイです。
未だ勢いの止まらない、新型コロナウイルスの感染被害。
世間では、季節が冬に近づくにつれ、第3波が到来しているとも言われています。
各自治体も、地域の経済活動と感染拡大防止を両立させるべく、独自に緊急事態宣言を出したり、補助金の給付を行ったり、様々な努力を続けていますね。
振り返れば、私たち水商売・風俗産業は、第1波到来時に「夜の街」産業として揶揄されていました。
対面でのサービスの自粛が叫ばれる中、当時の湯藤はこの女性向け風俗業界にどのような未来があるのか、その選択肢を広げるべく業界の外に目を向けておりました。
そんな中で、「RAINY」さんという”温かい他人”を届けるサービスについてご紹介しました。
もし読んでいない方がいらっしゃいましたら、是非ご一読ください。
※「RAINY」さんの紹介は、後編にあります
⇒記事はコチラ「ウイルスに立ち向かう世界で、女性用風俗が今できること(前編)」
⇒記事はコチラ「ウイルスに立ち向かう世界で、女性用風俗が今できること(後編)」
さて今回は、RAINYさんの掲げる”他人”に焦点を当てて、改めて女性向けセラピストという立場で語っていこうと思います。
“他人”という響きは、一見冷たく聞こえますよね。
家族でも恋人でも友人でもない、他人。
そこには埋めることができない溝があり、超えることができない壁があります。
しかし、世の中には”他人”を派遣するというサービスが存在する。
つまり、そこには間違いなく”他人”を求めている人がいるということなのです。
では、何故、人は”他人”を求めるのか。
これにはいくつか要素があると思いますが、ここで取り上げたいのは、「身近な人には見せられない自分を見せることができる」という点です。
これは、RAINYにも女性向け風俗店にも、少し前に話題に上がった「レンタルなんもしない人」にも言えることです。
この「身近な人には見せられない自分」というのは、何もエロに限ったことではありません。
・社会の歯車として機械的にルーティンを繰り返す日々から抜け出したいと思う自分
・重責やプレッシャーから解放され、誰の目も気にせずに好きなことをしたい自分
・普段の自分のキャラとは乖離があるけれども、体験してみたいキャラとしての自分
・気丈に振る舞ってはいるが、心の中に抱えや弱さを誰かに叫び伝えたい自分
「理想の自分」と「現実の自分」の間に距離がある人こそ、「現実の自分」に近い環境では「理想の自分」を実現することはできないものです。
自分の社来的地位、家族や友人の存在、他人から認知されているキャラクター……。
コミュニティの中で生きている以上、「こうあるべき」という枠の中に押し込められている人が多いのではないでしょうか。
また、その障害の大きさ故に、「理想の自分」へ変わっていくことを諦めている人も多いと思います。
だからこそ、「理想の自分」を実現するサポートをしてくれる、身近ではない”他人”という存在が必要となるのです。
お客様の中には、この”他人”という関係性を超えようとする方が稀にいますが、前提として、セラピストは友人にも恋人にも家族にもなれません。
※もちろん、セラピストを辞した後は別の話です
それなのにセラピストが存在しているのは、利用するユーザーさん達の中にも「現実の自分」と「理想の自分」との間に何かしらのギャップを感じており、その「理想の自分」を体験/実現したいと願う人が少なくないからなのだと思います。
もちろん、そのギャップを埋めるか否かは、お客様の自由です。
ギャップがない、ギャップを自覚していない、ギャップは自覚しているが特に埋めようとはしていない……純粋にそのサービスを楽しみたいというお客様に対しては、目の前の要望に応えることに専念すべきです。
ただ、ギャップを自覚していて「理想の自分」に近づきたいと思っているお客様に対しては、その「理想の自分」を目指す長期的なプランを一緒に考え、時に励まし、時に叱咤し、時に背中を押す存在として、寄り添い続けるというのが、女性向け風俗セラピストという”他人”のあるべき姿なのではないかと思います。
避けられない事実として、“他人”は、家族でも恋人でも友人でもなく、そこには埋めることができない溝があり、超えることができない壁があります。
そう、それはつまり、永遠の存在ではないことを意味します。
この事実を悲観する気持ち……とっても分かります。
だって、寂しいですもん。
でも、だからこそ、僕たちセラピストは、自分は一時的にしか目の前のお客様を支えられないのだということを自覚しながら、お客様と関わっていくべきだと思うのです。
その一瞬一瞬を、短期的にも、長期的にも、お客様の為になるように務める。
たとえ永遠の存在ではなくても、時に偽善だ、上っ面の言葉だと揶揄されても。
お客様のことを第一に思い、ただ押し付けだけはせず、真摯に向き合っていく。
そんなセラピストが、プロであり、誇り高い”他人”なのだろうな、と僕は思います。
以上、湯藤レイでした!