大解剖『セラピストの営業戦略!』

どうも富岡精子場射精大会金賞受賞者みさきですಠ_ಠ

先日数少ないセラピストの友人が後輩の育成について悩んでいました。彼は施術の指導だけでなく、SNSなどを活用してどのように自己アピールをしていくかという指導などもしなければならない立場のようで、どうしたら上手く教育できるのかについて、彼なりに色々と思惑しておりました。

自分も本業は教育者という立場でして、一応教育というものには毎日携わっているのですが、私のやってきたことはただの学力向上で、それは元々ある程度マニュアル化されているものをただ自分なりにアレンジするだけの教育なので、「誰かを人気者にさせるための教育」などについては考えたこともありませんでした。

私はその時何の提案も思い付かず、悩む彼に対して特に気の利いたことも言えないままになってしまいましたので、この場をお借りしまして、自己アピールというものに対して私なりの意見を少しお話させて頂きたいと思います。

自己アピールの憂鬱

まず私自身についてですが、私は自己アピールという行為に対して非常に苦手意識があります。自己アピールというものは少なからず売り出したい己自身を誇張して宣伝しなければならないものだと思いますが、自分はどうしてもその行為に気兼ねしてしまいます。しかし多くの競合相手を出し抜き生き残る為には、少しでも己という商品を善く見せ、自己の独自性を訴えかけ、他より優れた点を利用者様に認めて貰う努力はしなければなりません。そしてそのような努力の中にはある種の《あざとさ》と《曖昧さ》が含まれていると思います。

例えばあるセラピストが「私は今まで誠実で女性に優しい人間と言われて生きてきました。この仕事に就いたからには、現状以上の癒しを提供できるよう日々の努力も怠りません。私をお呼び頂いた暁には、私の人柄や技術によって時を忘れるほど楽しく、幻想的な時間を提供することをお約束します。」というような宣伝文句を謳ったとします。これは模範的で妥当な宣伝文句だと思います。そして人によって言い方や見せ方は違えど、これと同様の内容を自己アピールとして伝え続けているセラピストの方は多いと思います。

ここでまず問題なのが自己アピールをしようとしたときに、皆が皆似通った内容のアピールになってしまうという事です。「優しさ」「癒し」「楽しさ」などは我々の自己アピールに必要不可欠な単語ですが、それらは必要不可欠だからこそ誰もが使うフレーズとなってしまい、そのままでは競争の中で頭一つ飛び抜ける事が出来ません。

牛丼屋で例えるなら「旨い」「早い」「安い」は当たり前で、そこにプラスアルファの何かがなければもう消費者は食いつかないのです。そしてそのプラスアルファこそが最も企業の創造性や独自性を試される点であり、どんな企業もそのオリジナリティの模索に悪戦苦闘を続けているのだと思います。

よってそよプラスアルファは何をすれば良いのか、と尋ねても誰かから的確な回答を得る事は難しいでしょう。それこそ貴方の腕の見せ所なのだと思います。我々はとにかく試行錯誤を繰り返しながら、何かしらのオリジナリティを産み落とすしかないのです。貰える助言としては精々、このサービスの基本にある「旨い」「早い」「安い」は決して厳かにしてはいけないという事と、なるべく自分が楽しめる状況に持っていける方が、長くこの仕事を続けていられるという事くらいではないかと思います。

因みに私の推しは「すき家」でその理由は高菜明太マヨ牛丼に感動と衝撃を受けたからなのですが、もしかしたら高菜明太マヨ牛丼を研究することによって何かのきっかけが掴めたり掴めなかったりするかもしれません。

あざとい私

そしてもう一つの問題がアピールという行為に付き纏う《あざとさ》と《曖昧さ》についてです。私はこれらが不得意なので自己アピールが不得意だと自覚しています。先程の例の中に「女性に優しい人間と言われて生きてきました。」という一文がありましたが、この「言われて生きてきた」の部分に自己アピール独特の《あざとさ》が隠れております。

もしもこの「言われて生きてきた。」の一言が無かった場合、この一文は「私は女性に優しい人間です。」となってしまい、何となく馬鹿っぽくて信憑性に欠ける文章になってしまいます。どちらも言っている事は同じなのですが、他者からそう「言われて生きてきた」という一言を付け足す事によって、そこに客観性が生まれ、人は比較的この文章を腹に落とし込み易くなります。

しかし良く良く考えてみれば、どちらも自己申告である事には変わりない、つまりそこに客観性は存在しないので、「言われて生きてきた」と付け足そうが付け足すまいが、実はそこに信憑性など生まれていないのです。

こう言ったある意味では欺瞞とも呼べる小細工の積み重ねは、自己アピールという行為にとても重要です。そういった小技の一切を取り払い、伝えたい事をそのまま伝えてしまえば、利用者様から「馬鹿っぽくて信憑性の薄い奴だ」と判断されてしまう危険性が高まります。それは少しでも信頼を得たい我々にとって致命的なイメージダウンに繋がってしまいます。なので我々が言葉を発する時は常に、その言葉が「他人からどう思われるか」という事を計算に入れて、《あざとく》発信しなければなりません。

商業的な言葉の発信でなくとも、同様の《あざとさ》を含んだ文章は現代のSNS上には溢れ返っていると思います。これは恐らく承認欲求の枯渇から引き起こされた現代の流行なのでしょう。己を少しでも誇大に見せようと創意工夫を凝らしている方は決して少なくないようです。しかしその行為は見る人が見れば、返ってその個人が矮小な存在だと知らしめてしまう結果になってしまいかねませんので、発信の際にはその点の注意も必要だと思います。

個人的には「他人からどう思われるか」ではなく「どれほど己の真実に近しいか」について熟慮された方が、ご自身の後々の為にも有益かと思います。化けの皮はいずれ剥がれますが、それが貴方の中の真実なのであればそう揺らぐことはないでしょうし、下手な小細工を使うよりはよっぽど他人からの信頼を得易いと思います。商業的な目的が無いのであれば、何かのふりをし続けるのは賢明ではないのではないでしょうか。疲れますし。逆に商業的戦略として化けの皮を被るのであれば、決してその内側を明かさぬ姿勢を貫くべきだと思います。その極意はかの有名なローランド様に倣うと良いのではないかと思います。

曖昧な私

次に私が何を《曖昧さ》と呼んでいるのかについてですが、上で挙げた例で言いますと「優しさ」や「癒し」や「楽しさ」についてです。先程この三つを牛丼屋の「旨い」「安い」「早い」で喩えましたが、前者の三つと後者の三つでは尺度という点で大きな違いがあります。

「旨い」「安い」「早い」についてはある程度しっかりとした尺度を用いて、容易に他の商品との比較ができます。旨さについては少し難しいですが、味覚には五つの要素があるなど、食についての研究は進んでいますし、一応糖度などを用いて数値化する事も可能です。同様に安さはその値段によって、早さは提供までの時間によって他の商品と明確に比較する事ができ、消費者はそれを購入の際の判断基準とする事ができます。

しかし「優しさ」「癒し」「楽しさ」などは全くもって他と比較する事ができません。もちろんその理由はそれらに明瞭な尺度が存在しないからです。「当店のキャストは他店の5倍の優しさをもってお客様に接する事をお約束します!」などという宣伝があったとすれば、(それはめちゃくちゃ面白いですが)それは身勝手な尺度で非常に適当なデマカセを言っていると判断せざるを得ません。

そして明瞭な尺度がないという事は、初めに例として挙げた「私は優しく、癒しの提供に努め、楽しい時間を過ごす事を約束する。」という自己アピールの文章も、先程の5倍店と同様に身勝手な尺度でデマカセを言っていると判断されても仕方がないでしょう。優しさや癒しや楽しさなどというものは、当人がそうと決め付けられる類のものではなく、その人に触れた他者が自然と感じ取るものです。もしかしたら貴方に対して、優しさや癒しや楽しさを全く感じないという人もいるかもしれません。なので言ってしまえば、あの自己アピールの中には確実な情報など何も詰まっておらず、ただ当人の願望や妄想を並べただけであり、到底利用者様の選択の基準にはなり得ないのです。ウィトゲンシュタインの言葉を借りれば、本来我々は「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」のです。

しかし待ってくれウィトゲンシュタイン!我々は沈黙している場合ではない。そもそもお呼びして頂かなければ、我々の優しさや癒しや楽しさについて、判断してもらう事さえできないのだから、それが願望であろうと妄言であろうと、我々は自己アピールを続けねばならない。この巧妙に謀られた無根拠で不明瞭な言葉を、今日も混沌の界隈に向けて放ち続けねばならんのだ!

というのが我々が行う自己アピールにおいての現状だと思います。少し虚しいような気もしますがこれが営業努力というやつなのでしょう。頑張っていかなければなりません。そして利用者様の立場からしましても、明確な判断基準が存在しないこの状況は、不確実の中から手探りで安心を引き当てるような、そんな危険な賭けをしなければならないという事を示しています。初めてこの界隈の門を叩く利用者様が、不安と恐怖に溢れているのも当然の事と思います。徹底した情報収集に勤しむ事でしょう。しかし確かな情報があるようでないこの現状では、恐らく直感を最終決定の材料にせざるを得なくなってしまい、そこでは不必要な不幸も生まれてしまっているのではないかと思います。

にゃあ

私の考えるセラピストの自己アピール、つまりは営業戦略については以上です。他にもどのように一対一の連絡をとるかなど、色々と細かいアピールポイントはあると思いますが、だいたいこんな状況なのではないかと思います。我々の仕事だけに言えた事ではないですが、哲学や宗教と照らし合わせるとどうしても営業という行為には行き詰まりが来てしまうように思います。

実はこの2倍くらいの文章を書いてしまったので次回はこの続きを載せさせて頂こうと思います。我々は営業という意図の中で、あざとくて不確実な内容を言いふらす以外の事ができるのか。安心とはなんなのか。みたいな内容になっていますのでご興味がありましたらご覧下さい。

人間てびっくりするくらい簡単に嘘がつけちゃうし、その上言葉を発した本人すらそれが嘘なのか本当なのかよくわかってなかったりするんだから、もうどう付き合っていけばいいかわかんないよね!なのに寂しい時に猫だけじゃ足りなかったりするし、何回騙されても嘘か本当かわからない言葉を信じたくなったりするし、もうなんなんだろうね!もうこんなのやってらんないにゃあ。

1つ前 1つ後

この記事を書いた人

Misaki
Misaki

ヒメゴト東京在籍のセラピスト。
SMバーやハプバーでの勤務経験やSMショーに出演した経験を活かして色々とやっている。
人間の欲望と教育が好き。
髪の毛が長いことがロックンロールだと思っている。