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「娼年」から考察する「女性向け風俗」の「イメージ」と「実像」(veronaみゆき)

みなさんは映画「娼年」を観たことがあるでしょうか。主人公「森中領」が女性向け風俗店のオーナー「静香」と出会い、風俗店のキャスト「娼年」として様々なお客様と出会い成長していくというストーリー。石田衣良さんによる小説「娼年」が2001年に直木賞を受賞し話題となり、漫画化、舞台化を経て映画化された作品です。

 

小説・漫画・舞台・映画・・・ありとあらゆるメディアで取り上げられていることからも、世間からの注目度の高さが分かります。「女性向け風俗」「女風」という業界の知名度が一気に上がるきっかけとなった作品、それが「娼年」です。

  

 

女風に従事する人間として「娼年」が残した功績には感謝するべきなのでしょう。ですが、私はどうしても「娼年」の描く「女風の世界」に違和感を感じてしまうのです。私の今生きている「風俗」の世界はサックスの音色が響くムーディーな世界ではありません。セックスに支配された薄暗い世界でもありません。重苦しいトラウマに縛られた人間の住む世界でもありません。日常で奔走する男女が、不器用に愚直に体と心を重ねる世界・・・涙することもあるけれど、おなかを抱えて笑うことだってたくさんある、それが今私の生きている「風俗」の世界なのです。

 

 

 

【「娼年」で描かれている風俗と現実の風俗とのギャップ】

 

 

まず、映画「娼年」で描かれている風俗の世界と現在の女風業界とのギャップについて、整理していきましょう。

 

そのギャップとは4つ、
「風俗での本番行為について」「風俗嬢への古い固定概念」「女風オーナーの個性の無さ」「セックスの主導権が男性にあること」でした。

 

最初に触れたいのは「風俗での本番行為について」です。主人公・領は「クラブパッション」での入店試験を受けることになるのですが、入店試験では当たり前のように女性の中に男性器を挿入する「本番行為」が行われます。もちろん、入店後もお客様との本番行為は日常。お客様も男性キャストとの本番行為を求めて、クラブパッションを利用しているようにも感じられます。

 

悲しいことに「娼年」の世界観を信じて「風俗はセックスできるところ」というイメージを持ってしまった女性が多いです。ですが言わずもがな、風営法・売春法において「金銭の授受を伴う性交渉」は認められていません。徐々にお客様の理解も深まっているところかと思いますが「風俗=セックス」というイメージは「娼年」によりかなり広まってしまったのではないかと私は感じています。

 

それから、クラブパッションのオーナー像ですが、私は違和感を感じます。その違和感とは「風俗嬢」への古い固定概念と「女風オーナーの個性の無さ」です。
ここでオーナー・静香の半生を改めて振り返ってみます。静香は元風俗嬢、女手一つで子供を育て上げ、ついにはHIV患者となる。いわゆる悲劇のヒロイン・・・といったところでしょうか。

 

私はこの静香の設定に「風俗に生きる者は不幸」というメッセージを感じました。ですが、私は風俗業にやりがいと楽しさを見出している女性を知っています。そして多くの女性は病気の感染予防に最善を尽くしています。映画の中で色濃く描かれる「風俗嬢は不幸」という古めかしい価値観の押しつけに、私は強い違和感を感じたのです。

 

悲劇的な人生を歩む元風俗嬢のオーナーを見た視聴者は「やっぱり風俗は劇的な人生を歩んでいる人の世界なんだ」と思うでしょう。私はここでも「リアルと違う」「もっと個性あふれるオーナーで女風業界は作られている」ということを主張したいのです。

 

ホスト、AV業界、サラリーマン、OL、主婦・・・オーナーの個性は多彩です。だからこそ、女風店の個性も多彩になり100を優に超える女風店が誕生しているのでしょう。

「不幸な風俗嬢が女風店を営む」ということと、現代の女風業界の状況は大きく乖離していると私は感じました。

 

そして、クラブパッションを利用するお客様の描写について考えていきましょう。作中のお客様の描写については映画のレビューや私の友達、ユーザーさんからも高評価が目立ちます。

 

私も映画に登場するお客様はどの女性も大好きです。「普通の女性」として日常生活を送っている女性が、人には言えないような大人の楽しみ、性癖、セックスレスという悩みを主人公・領にぶつける姿はかわいらしく、美しく感じられました。

 

特にイツキさんというお客さまと領の対話シーンは衝撃的かつ官能的でした。女風で性的な願望の実現を達成した成功例だともいえるでしょう。

 

ただ、映画と現実のギャップをしいていえば、女風を訪れることにイツキさんのような特異な理由は必要ないということ。むしろ、イツキさんのように性的な願望を自認し、行動に移せる女性は少数派でしょう。ほとんどのお客様は「自分のことが分からない」「このモヤモヤをどうすれば良いのかわからない」という状態でいらっしゃる・・・というのが私の実感です。「ただなんとなく」「おもしろいセラピストがいたから」その程度の理由で女風を利用する女性もいらっしゃいます。どんな理由で女風を使われようと、正解・不正解はありません。風俗はあくまで娯楽であり、娯楽をどのように日常に取り入れるのかは個人の自由なのですから。

  

最後に感じた映画と現実とのギャップ・違和感ですが、それは「セックスの主導権が男性にあること」です。「娼年」の映画の話をするときにまず話題に上がるのが「主人公・領のテクニックの粗雑さ」だと思います。

 

作品冒頭の領のセックス、静香の前で行われる試験、お客様とのセックス・・・映画のクライマックスのセックスですら、領のセックスにおける「粗雑さ」は消えませんでした。

 

ではなぜ、女性は領のセックスに不満を覚えるのでしょう。答えは「領にしか主導権がないこと」にあると私は思います。今、女風セラピストに求められていることは圧倒的なテクニックではありません。コミュニケーション力です。お客様と対話をし、お客様と一緒にリラックスや快感、楽しみを作り出していく力が現在のセラピストに求められている力だと思います。

 

領と女性との対話への描写に時間を割きセックスシーンが少なくすれば、女性客の精神的な満足度は視聴者に伝わり女風への世間的なイメージも違うものになっていたかもしれませんね。

 

【私の生きる女性向け風俗の世界】

 

 

さて、「娼年」で描写される風俗の世界と現実世界での女風について比較をしてきました。ここまで読んでいただければ、私の感じているリアルな女風の世界についてもご理解いただけたかもしれません。

 

「風俗店」と聞けば「ただエロいことをする店」「公序良俗に反する存在」「女が風俗店に性的な快楽を求めるなんて恥ずかしいこと」というイメージが強いでしょう。私もかつてはそうでした。

 

ですが、いざ「女風」の世界に飛び込んで私は驚きました。「エロは悪」「エロは恥ずべきもの」そんな呪縛に苦しんでいる女性から次々とメッセージがきたからです。

 
お客様に会うにつれて、女性にとって「秘密の避難場所」になっているのが「女風」なのだと私は気づきました。

 

女風のお客様はセラピストと心も体も重ねることで、性的興奮以上に安らぎや癒しを得ています。時にそれは性別の壁も超えていたのです。

 

女性向け風俗業界は毎日のようにセラピストが入れ替わり、お客様の価値観もめまぐるしく変化しています。娼年が執筆された2001年当時と2020年現在では常識がまったく変わっています。今改めて「領」と「静香」を描いてみたら、まったく違うストーリーになるかもしれませんね。

 

現在「女風」をテーマにした漫画や小説、バラエティー番組は急増しています。女風の認知度が上がり、さらなるニーズが生まれていくでしょう。女風業界はまだまだ過渡期だと私は考えています。過剰に熱くなりすぎず、影の存在として様々な女性の受け皿となる「女風」業界が形成されていくことをセラピストとして願っています。そして、そんな理想のために、私がセラピストとしてできることを見つけていきたいと思っています。

 

 

ベローナ
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この記事を書いた人

himebuta
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結婚して早5年レス妻
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